心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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続・阿修羅展 鑑賞レポート

阿修羅展 鑑賞レポートより続きです^^

阿修羅像の何が、これほどまでに多くの人を魅了するのだろう。
入館の待ち時間の間に、この疑問は、ますます私の中で膨らんでいきました。自分の中で答えらしきものが出たのは数日後。この日は阿修羅像をはじめとする興福寺の宝を前に、そして阿修羅像の前の何重もの人の輪に、ただ圧倒されて帰宅しました。

でも、「なぜ、これほどまでに多くの人が・・」と、人の思いについて考えてみても、答えが見つかる筈がなかったのです。

「あなたは、どうなの?」「どうして、ここへ来たの?」
そんな言葉が胸から聞こえてきました。

そう、私はなぜ、阿修羅像を見に来たのだろう。
結局のところ、私は他人にかこつけて、自分の心が知りたかったのです。


閑話休題。

後からよくよく調べてみると、360度の角度から阿修羅立像・・・三面六臂(3つの顔に6本の腕)・・・の御姿を拝めるのは初めてだそうです。それだけでなく、この阿修羅像を含む八部衆像の8体、釈迦十大弟子の内、興福寺に現存する6体、四天王像、および薬王・薬上菩薩、また法隆寺から光明皇后の母、橘美千代の念持仏と伝えられる阿弥陀三尊像も一同に展示されています。

これらの仏像が揃って東京で展示されるのはもの凄いことであって、興福寺の言葉のエネルギー云々・・・と探らなくとも、この人気は実は驚くことではなかったようです。何度も足を運んでいらっしゃる方もいると聞きました。そして、その価値は十二分にある展示だということです。

個人的には、薬王・薬上菩薩も良かったです^^ ともに3mを超える大きな像で大迫力。そして、上記に興福寺のサイトをリンクしましたが、「兄弟の菩薩で、ともに良薬を人々に与え、心身の病気をなおした」と説明があります。心の病にも尽くして下さった菩薩様・・・と思うと、ついホロリとなってしまいました。

さて、阿修羅像。他の多くの仏像とは、とにかく異なる風貌、容貌です。
ほっそりとした体、細く折れそうな長い腕。ネックレスや腕輪などアクセサリーをまとい、下半身は花柄の裳。眉間に少々皺をよせたような、憂いを含んだ少年の御顔・・・以前から大変人気のある仏像様です。誤解を恐れずに書くと、阿修羅像は、仏教界の広告塔、人間と仏様の世界を繋ぐ架け橋のような存在ではないかと感じていました。

そして、とにかく印象的なのが、三面六臂の御姿ですね。十二臂や千手となるとスコンと仏様のイメージになるのですが、この三面六臂の御姿には、どこそことなく人間臭さを感じてしまいます^^ その人間臭さ、もう一つの理由は御顔が赤いこともあると思いました。疲労と怒りを押し殺しているような御顔の色。それが現代を生きる私たちを映し出しているような、そんな思いも致しました。

・・・まとめられなくて申し訳ありません。続きます♪


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました☆

今日も皆さんにとって、楽しく健やかな一日でありますように。

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joyce (ジョイス)

Author:joyce (ジョイス)
人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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