心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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光と影の法則

プラスとマイナス、善と悪、喜びと悲しみ、そして光と影。すべては表裏一体であり、良いことばかりも、悪いことばかりでもない。この対極にあるもの、それはすべてセットであるということ。この記事を書いた辺りから、それを強く感じるようになりました。

自分をプラスだけで埋めなくてもいい。
光だけを追いかけなくてもいい。

プラスで埋めようとすればマイナスも一緒に埋まってくる。光を追い求めれば、それを際立たせるために影も大きくなる。みんなセットなんだって。

そう思えたことは、私にとっては大きな慰めでした。ずっと光だけを追い求めてヘトヘトになっていたからです(爆)そしていつまで経っても影が無くならない!と、さらに光を求めて、さらにフラフラに^^;; 

光は光で素晴らしい、でも影は影でかけがえがない、と今私は思います。燦々と太陽に照らされ続けているとツライです。涼が取れる影のスペースを求めてしまいますよね。
そして、表裏一体なのであれば、影を排除しては光を受け取ることは出来ません。いくら光を求めていても。自分が影や闇だと思う部分を受け入れて、私たちの中の光が、その暗さによって引き立つものなのかもしれません。

その影や闇の姿とは?そして、私たちが抱えている人間関係や生き辛さ、理由が分からない気持ちの重さにどうリンクしているものなのか。それを小説仕立てで解き明かしてくれたのが、この本だと思います。私は最初、途中で読めなくなりました。数日後に恐る恐る(笑)読み返し、自分の中、奥深く押さえ込んでいた感情を知るきっかけとなりました。

光と影の法則光と影の法則
(2009/03/24)
心屋仁之助

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著者の心屋さんが良くエピソードで使われる、自分が外した自分のパート(影の部分)。それを「おかえり」と自分の中に迎え入れること。「もう、許してやれよ」って、自分に受け入れること。ワークの仕方も本の最後に書いてあります。この「もう、許してやれよ」って言葉、心屋さんのメルマガに書かれてあったのかな。すごい好きなんです。この言葉^^ よく言ってますね、自分に対して。

私にとっては、「影を受け入れる」より、光を追い求めるに至った自分の気持ちを理解することも大切でした。でも、言葉が違うだけで同じことですね^^ 光を求めるのは自然なことだと思うんです。例えば自分が深い穴倉にいて、入ってくるのは頭上の一筋の光しかないとすれば、その光を見上げ続けるのだと思います。光射す場所へ行きたいと願ったその裏の気持ち・・・闇にいる時に感じた気持ち、をそのまま分かってあげること。それが、私にとって影の部分を受け入れるということでした。

影や闇の部分って、人生のまろ味かな、と思います。明るさ一辺倒ではなく、ダークな色や、欠けて凸凹がある方が、私は何となく落ち着きます。私自身が陽より陰、光より影の性質が個性だからかもしれませんが^^;


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました☆




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コメント
joyceさん、こんばんは。
最近色々考えすぎてちょっとへとへとになりかけていました。
ちょっとご報告したように一度は楽になり(^^)、でも実はまたもとに戻りの
繰り返し。この記事を読ませていただいて、またはっとしました!
私苦しい時って光だけを求めようとしているんですね、きっと。
このクセがなかなか抜けないんです。「影は影でかけがえがない」とても
心に響きます。この心屋さんの本をここまで読み砕いていて、
joyceさんは深いなぁって感心します♪ありがとう!!
2009/05/08(金) 22:35 | URL | Mulle #-[ 編集]
Mulleさん、こんばんは。お仕事は落ち着かれましたでしょうか?お気持ちも楽になったり、また揺り戻しの繰り返しなのですね。その渦中にいるときは苦しいですね。。その中でブログに訪問頂いて、コメントも残して頂いてありがとう!

>「影は影でかけがえがない」
こう思えるのは、この本の「光と影」というモチーフのお蔭だと思います。光を求めるのは自然なことですよね。そして自分が「影」だと思うことは排除してしまいます、やっぱり--; 私も、少しづつ、光だ影だと分けずに、いろんな面を受け入れていきたいと思います。

2009/05/09(土) 22:04 | URL | joyce #-[ 編集]
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プロフィール

joyce (ジョイス)

Author:joyce (ジョイス)
人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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