心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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I (アイ)メッセージの両極

【I(アイ)メッセージ】とは、自分(アイ・I)を主語にして、自分の感情、思うことや要望を相手に伝えることです。お相手に働きかけたい場合ですね。この場合、「あなた」を主語にしない、これだけで受け取る側の印象は随分変わります。例えば、

「私はこう思う」
「私はこうなの(悲しいの、辛いの)」
「・・・だと(してもらえると)、とても嬉しい」

など、自分を主語にして話すことです。
これを「あなたが主語」、【You(ユー)メッセージ】が頻繁になると、

「あなたは、何で・・・」
「あなたは、いっつもそうじゃない・・・」

など、自分の思いを分かって欲しい!!から発しているメッセージなのに、それが伝わらずにお相手は「責め」を感じてしまいがちです。でも、そうじゃないんですよね。分かって欲しいから。

私は、この「分かって欲しい」という気持ち、これは人間の根源に近い、かなりコアな感情ではないかと思っています。そしてアイ・メッセージによって、たくさんの「分かって欲しいよ」「気持ち、分かったよ」というキャッボールが生まれればいいですね^^

ただ文脈としては、伝えたいお相手のことや、その感情を呼び起こした出来事について、それらに相応する言葉で繋がないと対話になりませんよね。よってI(私)メッセージの場合も、お相手のことについて全く触れないわけではなく、働きかけたい(=こうして欲しい、分かって欲しい)と思うに至ったお相手の言動や、その他起きたことについては事実を伝えることがポイントです。但し「淡々と」まで、私は思いません。私は手段や方法にあまり偏りたくなくて。抑えきれなかったときは、抑えなくて良かったんです。


+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・


アイ・メッセージは「衝突を避けるため」の手段とも言えるかもしれません。他者との衝突が大好き、な方は稀だと思います。ただ衝突や感情のこじれが、新しい道を開いてくれることは大いに有り得えます。

と言うのは、アイ・メッセージにより発信したことが、ご自身の、そしてお相手の「何か」に反応し、内側に隠れていた感情を呼び起こすときもあるからです。こういったケースは、通常理性では抑えが効きませんから、爆発からこじれに発展する場合も無きにしも非ずです。でもそれが、そのお二人の場合に必要なプロセスだったのだと思います。 

「人は愛するために出会う」・・・マザーテレサのお言葉です。
感情の爆発やこじれが起きたとしても、それは裏を返せば、お相手により近づくための、自分の気持ちを大切にするための「愛」なのではないでしょうか。

何故ならあなたの感情の爆発は、お相手にとっては、自分の何かに気付くきっかけかもしれません。それがきっかけだったとして、それに対する受け止めはその方の問題です。それをその方に委ねることができるなら、このケースも正しく、アイ=「I」だけでなく「愛」メッセージになるのではないでしょうか。


実際のところ、自分の内面がクリアになっていき波動も変わっていくと、相手も変わっていくという現象は確かに起きます(これは相手が変わったのではなく自分が変わったので、結果として、自身の相手に対する見方や考え方が変わり、相手が変わったように見えるのです)。

でも、自らお相手に対し、行動していくことも大切です。そういう時に、ふとアイ・メッセージを思い出して頂ければ嬉しいです^^ また現実の行動はそのまま経験となり、それが命の実りや輝き、喜びなのだと私は信じています。そしてネガティブな部分は、その実り、輝き、喜びに、自分という個性を色付けしてくれるもの。そこに存在しているのは、ただあなただけの命と魂の実り、輝き、喜びであり、成功と失敗、必要と無駄、そのような類での価値付けは一切ありません。



今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

今日も皆さん一人ひとりに、温もりと慈しみが届いていきますように。





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joyce (ジョイス)

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人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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