心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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共にいること 【2】 ~人薬

私がカウンセリングやセラピーという言葉、そしてその内容について知ったのは森瑤子さんの小説からでした。鬼籍に入られてから今年で17年。私はこの方の数多くの小説から、説明の付かない心の衝動、人生の哀切や時として理不尽さ、秘めたる想いなど、大人になるということは、こうまでして心の傷をさらけ出し新たなヒダを作っていくことなのかと、かすかに感じる恐怖に足をすくませながら、一方でそんな大人への憧れに胸を震わせながら、森さんの小説を一冊一冊と読み重ねていったことをふと、思い出しました。

さて、小説の中で登場するカウンセリングの場面。
私の記憶では(実は、今手元に残っている小説は一冊もないのです^^;)それが当時の時代だったのかもしれませんが、解決志向で進める場面は一つもなかったと覚えています。

森さん自身が、一時期カウンセリングに通っていらっしゃったことから、全くのフィクションや想像で筆を進められたということでもないのだと察します。そしてそこで書かれてあったことは、「時間内、ただただ黙って、そしてお金を払って帰っていかれる方」「何も言わず、ひとしきり泣いて、それで帰っていかれる方」「セラピストの相槌さえ許さず、感情を吐き出して時間が終わる方」・・・このように、ただその時の、それがとてつもなく辛いことでも、そのままのありのままでいるクライエントさんと、受け止めるセラピストの姿でした。

でももしかしたら、そのままの、ありのままでいることが一番難しいのかもしれません。現代を生きる多くの人は、自分で作り上げたものに苦しんでいる(それは精神的なものでも、物質的なことでも)、手放すことができるなら身軽になるのは心の何処かで分かっていても、自分の何かを守るために作り上げたものであるから、決して自分から離すことは出来ない、そしてそれが出来ないが故に苦しみがあるのではないか・・・これが、ここ数年来、胸に去来する思いなのです。

この世の中は恐ろしいまでに確固とした二元性が存在し、それが幾重にも折り重なり無限の多元性となっている構図のように思います。良くなろうとし解決策の探求が過ぎ、今、そのままから自身を背けることが続いてしまうと、結果として「良くなろうと解決策を探し続ける」現実が続きます。極端に平たく言えば「良くなろうしない」ことが改善に繋がると、そう実感することが、最近増えてきました。


森瑤子さんの小説の時代、それこそ20年以上前のことです。
これだけ精神的な分野やスピリチュアル、引き寄せ等の言葉が世に普及し、セラピーやカウンセリングがビジネスシーンの一端も立派に担っている今現在、お金を頂戴する以上、出来る限りのことをして差し上げたいというセラピストと、クライエントさんは、お金を支払う以上、苦しみを解く解決策や手段を聞きたい知りたいと願うのが一般的です。お金が介在するならそれが尚のこと、それが普通の意識であり、話を聞いてくれるだけなら友達だって聴いてくれるもの、何でお金払わなきゃいけないの?ということかもしれません。

しかし、ただそこにいるその方と、その方の感情そのままをを受け止める側と、何も言えない自分が、その時のありのままの自分であるなら、そのままでいられる側との空間。私はそういったもの、そこから生まれるものが、その方の心の奥深く届く薬の一つなのだと信じています。


私も含め多くの人は、自分が思うよりも遥かに、自分に価値を許していない。

その価値は紛れもないご自身のピースの一つであり、ご自分が望みさえすれば、自分に「カチっ」と嵌め込むことが出来るのだと、そのピースに対応する自分の窪みは「価値」が嵌め込まれるのをずっと待ち続けているのだと、そのような思いを届けることが、私にとっての「共にいること」。

昨年ある講演会で耳にして、今も忘れられない言葉があります。
引きこもりを専門にされている精神科医の先生が最後に仰った「人薬」という言葉。その講演会は、蓋を開ければかなりディープな内容でしたので、この言葉を聴けて心の底から安心しました。その方は一貫としてうつ病治癒の対策として「環境整備」を挙げられていましたが、それでも「人薬」がすべてを覆しその人を再生させる可能性は計り知れなく大きいと。

そして「人薬」という言葉が、これだけ当てはまる曲もないのではないでしょうか。
また音楽つながりです^^
多くの方の心に、今も絶ゆまず届いている曲だと思います。そして、私もいつの日か、大切な方々のために心のすべてで歌いたい曲なのです(相変わらず、無謀ですな・・・)。






今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。

今日も皆さんにとって、すべてが慈しまれていると感じる一日でありますように。






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人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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