心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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Once in a blue moon ~滅多にないこと?

3月30日は、再びブルー・ムーンの満月です。

"Once in a blue moon"というイディオムがあり、恐らくは詩的表現で、日常使われている表現ではないかもしれませんが「滅多にないこと」という意味です。 さて先日、その「滅多にないこと」繋がりなのかどうか、次ぎのニュースを見つけました。


民家で発見!3000年に1度しか咲かないという伝説の花

2010年3月3日 4時42分 (ロケットニュース24)より一部抜粋

3000年に1度しか咲かないと言われる伝説の花「優曇華(うどんげ)」が、中国の民家に姿を現した。海外メディアが1日報じたもので、民家の近隣にある寺の僧侶が確認し、間違いないという結論が下された。

優曇華とは、仏教経典において3000年に一度花を開き、そのとき如来が現れるとされる伝説の植物。日本でも「めったにないもの」を例える用語として古くから使われており、『竹取物語』『源氏物語』といった古典文学や、夏目漱石の『虞美人草』などの近代文学にもその名が登場する。また、実在するクワ科のフサナリイチジクを指す場合、昆虫クサカゲロウの卵塊を指す場合もある。だが今回見つかったのは、霊験あらたかな伝説の植物だったそうだ。


残念ながら、この記事中の写真までは拝借することは出来ませんでしたが、この「優雲華」、触れれば消えてしまいそうな、小さな小さなお花です。

しかし、3000年なんていう数字・・・人間の寿命を知る私たちにとってまったく現実感を伴わない、それこそ事実上の永遠とも言える年月です。ただこの伝説を信じれば、3000年という月日を待っていたこの淡雪のような小さな花は、「滅多にないこと」に似たファンタジーを教えるために、2010年の今に咲いたのではないと思えてなりません。

またブルー・ムーンは「癒しの象徴」とも、心からの願いを叶えて下さるとも云われています。それが「滅多にないこと」の意味になっているのは何とも意地悪・・・いえ、それも私には織り込み済の壮大なシナリオに思えます・・・でも、やっぱり、時々は意地悪と思うかな^^;;

願いが叶うことを「滅多にないこと」と捉えるか、日常に溢れるささやかな一瞬を幸せ(いつもある)と感じれるのか、はたまたその時、心に何が浮かぶのか。ただ佇んでブルー・ムーンの輝きを浴びてみたい今度の満月の夜です。


今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日も皆さんの一人ひとりが、優しさに包まれる一日でありますように。



この写真は、すずらんです^^ 大好きなお花です。神秘的な一枚に仕上がりました。

suzuran





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人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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