心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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続・京都御所 猿が辻~許していない、でもそれでいい。

前編より続いています。

思えば、以前から私は、空海より最澄派でした。
しかし、先の記事でご紹介した「雲と風と」を読むまで最澄様のことは余り知らなかったのですが(^^; 悲しいくらい一途に打ち込むことろ、真面目。そこが空回りを呼んでしまうところに共感(と言いのも、おこがましいのでしょうが)を覚える御方でした。 

また、最澄様のお言葉として有名なのが「一隅を照らす」。
金銀財宝が宝なのではない、一隅を照らす人が国の宝だと説かれたお言葉です。その一隅を照らす人とは、自分の出来る限りを最大限に行い、自分のいる場所を照らし(=先ず自分自身を輝かし)、周囲に幸せを与えていく人を指すのだそうです。


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さて、前編で書いた桓武天皇の感じた怯えと敗北感。
もし一言で表現する乱暴さを許して頂けるのなら
「ひたむきだった自分の否定」でしょうか。

一生懸命さが人の恨みを呼んだ。
※桓武天皇の場合は、政治を一新するために奔走した一生懸命さ。身内の断罪もしましたが。

結果、自然災害、家族側近の相次ぐ死、政治運営の停滞。


前編では、そう思うのは私自身の投影だとも書きました。
勿論、桓武天皇の当時の心情とは異なって然るべきです。何しろ立場と置かれている境遇が全く違いますからね(^^;

ただ、私も何故、そんなにがむしゃらに走り抜けてきたのか。
砂煙を巻き上げ、そのスピードで周囲の人々をもなぎ倒してきた日々。でも、ゴ-ルを目指して走っていた訳ではないんです。走り続ければ、いつか力尽きるから。力尽きて倒れるために、走り続けていたように思います。

それと私の場合、もう一つ、息も絶え絶えに走り続けた理由としては、
自分の付加価値を増やすために、とにかく成果が欲しかったのは・・・そういう自分になることで、はじめてその人を裁けると思ったからです。その場所にい続けたかったのは、裁き続けたかったから。


もうすっかり忘れたと思っていました。完全に過去だと。
でも忘れてないどころか、私はその人を憎んでいた、許していなかったんです(^^;;

許していない。でも・・・
それくらい当時の思いや痛みは深く、「許していない」は(私にとっては)イコール、「分かって欲しい」と願う気持ちの裏返しだったとも気付きました。

自分で思うよりずっと我慢していた自分や、がんばり続きてきた自分。気持ちを表現する術を知らず、そして力尽きれば、せめて振り向いてもらえると思っていた自分への・・・愛しさや、申し訳なさなど(こればかりは表現が難しい!)の気持ちが胸を衝きました。

常識だけで考えれば、許した方がいいに決まってる。でも、「許す」「許さない」のプロセスは自然に任せたらいいと思うんです。その先どう進んで行くのか、プロセスをコントロールしようとしないで、そのままの感情、思い、気持ちに気付くこと。

だから、許せなくていいし、今も憎んでる、許したくない。
それが今の本当の気持ちなら、それでいいんだ、と思えた京都御所・猿が辻の翌日でした。


+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

これが、自分を受け容れて丸ごと愛するということかな?と思いました。
このように、そうなんだね、それでいいよ。
と、そのまま寄り添ってあげること。

判断せずにそのまま寄り添うこと、それは、その事実(今回の例だと、許せない)をしっかりと見据えることに繋がります。どんな否定的な感情も私たちの紛れもない一部分。
誰でも「拒絶」は辛く悲しいように、感情も同じなんですね^^ 


この日(もう一ヶ月以上前になります・・・)
遭遇した女神様の写真は次の2点です。

venus in the kyoto sky

こちらは西風の神様ゼピュロスと女神様。
実際、御所の西側に向かった上空です。

goddess and zeburos


今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。

今日も皆さんにとって、一瞬がかけがえのない一日でありますように。


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joyce (ジョイス)

Author:joyce (ジョイス)
人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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