心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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京都御所・猿が辻

9月5日、京都御所と周辺神社へ御参拝させて頂きました。土曜日のため京都御所は中には入れませんでしたが(一般公開期間以外は、基本的に平日のみ参観可です。事前に要予約)、今回の目的地は壁の外にあるので問題ありませんでした^^

その場所とは、東北鬼門の猿が辻です。こちらの図→京都御所施設概要図でも分かるように、東北の角は内側に折り込まれ鬼門封じが施されています。

何故この場所に出向くこととなったのか、今となっては覚えていません(^^; 
ただ烏丸近辺のお花屋さんを探しているうちに、強くこちらへ導かれることとなりました。もっとも当初の予定では、8月に御参拝した、下鴨神社御祭神の玉依姫命様が同じく祀られている別の神社に参拝する予定だったのですが。


ここが、鬼門封じを施された猿が辻です。

Kyoto gosho sarugatsuji


また、猿が辻の屋根裏に一匹の木彫りの猿が安置されています。
この猿は鬼門を守る日吉山王神社の使者と言われています。

sarugatsuji kimon fuji

この鬼門封じを始め、平安京を徹底した風水都市に仕立てたのが第50代桓武天皇でした。最初は「何故に京都御所?」と首をかしげましたが、ここは下鴨神社と共に近畿五芒星(レイライン)の中心を南北に貫く「御神島=熊野本宮ライン」上であることを、この前日に知ったのです。

このライン上御所の真北には、650万年前の太古に人類救済のため金星より降り立ったと伝えられるサナート・クマラを祀る鞍馬寺が、そして水の神様を祀る貴船神社があり、南には平安神宮、八坂神社、奈良まで南下すると唐招提寺など数々の寺社がこのライン上に建ち並びます。また御所の東西にもいくつか神社が配置されています。

天皇が住まう御所を巡り、二重三重と固く張られた封印(正確に言うと、そういった場所(ライン上)に御所を配置した)。桓武天皇が恐れたのは、実弟早良皇子と父帝后・・・謀反と仕立て上げ、死に追いやった・・・怨念であると言われています。その後連続して起きた愛する人々や側近の早世、自然災害が天皇を苦しめていきます。

奈良時代とは一線を画し(天武・聖武天皇時代への否定、桓武天皇は天智系です。血脈以外の問題もありましたが・・)新しい治世に命を燃やした桓武天皇は、25歳まで官位もなかった皇統傍流の一人の青年でした。政治を一新するため、砂塵を蹴散らし王者として走り抜けるために、自らに課した「悪魔の魂」。

その生涯の果てに行き着いたのは改悛、求めたのは救い。それは自分を責めるのではなく、魂を仏に委ねて懺悔すること。王者と呼ばれたこの帝にとって、それは「恐怖」であり「敗北」でした。

しかし「懺悔は敗北ではなく魂の浄化であり、そこではじめて敵も味方もいなくなるのです。」と説く天台宗祖、最澄との魂の信頼関係。その最澄も次代嵯峨天皇の空海への親愛もあり、国家の精神支柱なる改革の夢破れて、この世を去りました。

+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

鬼門封じの猿が辻では、御二人の当時の心情が未だ残っているような空気の重さでした。事実、この辻は幕末の時代、一人の志士が闇討ちに会った場所であり(猿が辻の変)、そのエネルギーも残っていたのかもしれません。私はこの日、この辻の前で手を合わし、私を育くんでくれた京都のかつての都に感謝の思いを伝えるしか出来ませんでした。そして桓武天皇に向けては「日本の政権が交代しました」とお伝えしました。

この徹底した風水都市は、そのまま桓武天皇の怯えの象徴なのでしょうか。でも、私がこのように感じたのは興福寺・阿修羅像の時と同じ。私の内側の投影と共鳴です。ここへお導き頂いたのは、自分自身が抱き続けた気持ちに気付くためでもありました。

私の中にも存在してきた、怯えという感情。
それは、どこから来たもなのか。


次に続きますm(_)m
書き進むうちに、続編はこの記事と内容が変わっていきそうな予感がします。
もしくはここで終わるか・・・さて(^^;; 


また桓武天皇と最澄様の一生について、この本から学ばせて頂きました。
本当に面白かったです。ご興味がある方は是非!

雲と風と―伝教大師最澄の生涯 (中公文庫)雲と風と―伝教大師最澄の生涯 (中公文庫)
(1990/06)
永井 路子

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最澄様のお生まれは現在の滋賀県大津市。この2日後に行った石山寺、瀬田川も近かったのではないでしょうか。色々と繋がります^^


今日も最後まで読んで下さってありがとうございました☆

今日も皆さんのかけがえのない勇気が、大切な誰かに伝わる一日でありますように。


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joyce (ジョイス)

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人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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