心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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山城国一宮・下鴨神社 

8月15日、16日と京都に帰省。下鴨神社と京都市美術館までルーブル美術館展~17世紀ヨーロッパ展~に足を運びました。先日も少し書いたように、本当に急遽決めたこの帰省。しかし予想外に多くを経験できた2日間でした。8月15日、終戦記念日。この日を忘れないでいたいのは、どれだけ多くの方々が祖国の未来へ、愛する人へ祈りを込めて下さったかを感じるからです。この日の夜に放映された「硫黄島からの手紙」のラスト、手紙のシーンが正しくそれだと胸が詰まりました。

下鴨神社は、タイトルにもある通り「山城国一宮」として京都を守護して(当時は平安京なので、国もしくは王城の守護神)下さっている神社で、世界文化遺産でもあります。もともとは、御祭神のお一人である玉依媛命(たまよりひめのみこと)様に参拝させて頂きたくこの神社を訪れるに至ったのですが、もうお一方である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)様の御神徳が世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除、導びきの神として方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等(下鴨神社HPより抜粋)と知り、この日伺うことができ本当に良かったと思いました。


この奥に東西の本殿(国宝)があります。

Shimogamo shrine honden



出雲出於(いずもいのへの)神社の御社(重要文化財)です。
御祭神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)様。下鴨神社の敷地内にはこのように他の御祭神を祀る式内社がいくつかあり、これもその一つでした。御由緒は下記の通りです(御社前の立て看板記述より抜粋)。

izumono shrine

【「延喜式」に「出雲出於神社」とある神社で、「日本書記」神武天皇二年の条りに「葛野主殿県主部」(くずのとのもりのあがたぬしべ)とある氏族が祖神として奉斎した社である。この県主部は山代北部に勢力と持ち、鴨氏と同じ祖系で、「神亀三年(七二六)、山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳(正倉院文書)」で知られる氏族である。大宝令(七〇〇)以降、山代国葛野郡は四つに分割され、鴨川の西方より東山までの地域が愛宕郡となり、鴨側の東岸がたて(? 読めず)倉郷、西岸が出雲郷となった。「出於」とは、川のほとりのことで、出雲郷の川のほとりに坐す社の意である。】


井上社(御手洗社)横手にある池。葵祭に先だって斎王代がみそぎする場所だそうです(実は、葵祭り、行ったことがない。勿体ないですね^^;)毎年夏の土用の丑の日の神事、また、みたらし団子の発祥の地・・・と始めて知ることが沢山で、これもまた楽しかったです。この日は湿気が高かったので、両足を水に入れると何とも気持ちが良かった^^ こちらの御祭神は、瀬織津比売命(せおりつひめのみこと)様。ずっとお会いしたかった(・・・という表現は不適切かもしれませんが、正直な気持ち)と、思いかけず手を合わせることができ、感謝のひと時でした。

seoritsu hime


この末社も、ふと目に留まりました。
御社自体は、それはそれは小さなものでしたが。
旅行、交通安全等の導きの守護神・・・金比羅様も(自宅最寄の八幡神社に金毘羅大神の石像が安置されているのです)そうですよね。ここでも偶然はないのだなぁ。。と思えたヒトコマでした。

matsushiro


私を見送って下さったのは、この祓社の上空から微笑んでくれたハートシェイプ。
ありがとうございました。

heart shape made by tree in the shimogamo shrine

下鴨神社の御神紋は「双葉葵(カモアオイ)」という植物で、昔は「あふひ」と書かれ「あふ」は「会う」、「ひ」は神様のお力を示す言葉で、神様の力に出会う植物が「あふひ=葵」であると伝えらてきました。また「逢う日」にも通じることから、よい人(異性・友人)と出会う、交友が広がることに繋がると信じられています。


今日も最後まで読んで下さってありがとうございました☆

今日も皆さんにとって、たくさんの慈しみを感じる一日でありますように。

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joyce (ジョイス)

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人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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