心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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私にありがとう、ごめんなさい

なかなか、外に答えを求める癖が治りません(^^ll
ホント、自分を信頼していないんだな。

本当は、ものすごくシンプル。自分の思いが、自分に返ってくるだけ。
ただ、全てがそうだとは思えません。不条理なこと、説明が付かない死。これらのことも含んで心で理解し納得できる日が来たら、いつか自分の言葉で伝えてみたいと思います。「全てにおいて例外はある。」・・・こういうことかもしれないけれど。

・・・・でも、最近の私は(と言うより、今までも)、
楽しむことに、がんばりが要るみたい。何でしょうね^^;これ。
心のどこかで、まだ、自分以外のものになろうとしているのでしょうか。
私が私以外のものになったら、誰が私でいてくれるの!まったく ^^;;

それもあってか、自分を大切にせななぁ~と改めて思うこの頃。
最近、蕁麻疹も出ちゃったんです。明らかに心身の栄養不足。身体はちゃんとメッセージくれたんですね。そんな私の心と身体に、今伝えている言葉です。

ありがとう
ごめんなさい
許して下さい
愛しています 



これは、ハワイ400年の知恵、「ホ・オポノポノ」の言葉です。
この言葉を語りかけ共にいることで、潜在意識の記憶がクリーニングされます。愛情をいっぱい入れることで、傷ついた心が浄化されるのです。
そして、ブロックや思い込み、自分を護っていた鎧が溶けていき、神聖なる知能と結びついていきます。自分の完全性を思い出し、心の平和と自由が取り戻されます。

ブロックや思い込み、鎧を身に着けていた自分が悪かったのではありません。
これは、悪かったから、良くなろうとすることではないのです。

信じなくてもいい、難しく考える必要もありません。
自分に語りかけ、ただ、共にいましょう。


セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノ普及に携わる、ハワイの精神科医・セラピストのイハレアカラ・ヒューレンさんの言葉に、私なりの思いを追記させて頂いたものです。

「許しを請う」って、日常生活の中であまりないと思うんです。「許してください」という言葉も、決して頻繁に使う言葉ではない。しかし、ホ・オポノポノでは、「改悛し」「許しを請う」ことが潜在意識をクリーニングする重要なプロセスと位置づけています。

私たちは、失敗を繰り返しながら人生を歩く生身の人間なのですから、誰かを傷つける言動をしてしまったり、自分を大切にしなかったり、照れに負けて愛を配れなかったりするものですよね。だから考えようによっては、日々は、「改悛し」「許しを請う」ことの連続なのかもしれません。

感謝する=感じて、謝する。
感じて、謝ることが「感謝」するということ。
とすれば、悔い改め、許しを請うとは、もっと日常茶飯事的に行われるべき行為であって、それにより感情を閉じ込めることが少なくなる=潜在意識がクリーニングされる、というのは自然な摂理のように思いました。

マザー・テレサの残した言葉にも
「許しを請うためには、もっと謙虚でいなければなりません」とい一節があります。
至らない部分があっても未熟な自分であっても、謙虚にそのまま、今現在の自分を現しなさい、という意味でしょうか。「謙虚であること」、これも私にとって大きなテーマなのですが、「いつでも、丸ごとの自分を、そのまま認めなさい。」それが謙虚さであって、見て見ぬ振りをしてきた自分の感情に「許しを請い」なさいと、そう教えて頂いたように思いました。

「ありがとう、ごめんなさい」から
「許してください、愛しています」へと言葉が移るとき、
受容の柔らかいエネルギーと、私たちのために泣いてくれる誰かの涙のしずくが染み渡っていくようでした。静かで優しい、大きなヒーリングパワーです^^ 一度お試しになって下さい。


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます☆

皆さんにとって、楽しく健やかな一日でありますように。
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プロフィール

joyce (ジョイス)

Author:joyce (ジョイス)
人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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