心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

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カラヴァッジョが教えてくれたこと

caravaggio

昨年後半より、私個人的なキーワードの一つにあるのが・・・「ルネサンス」=再生。
記事のタイトルにも何度かしましたし、実際この時期の芸術には大変心惹かれます。魅かれると言うより「惹かれる」。近づいたら怪我するの分かっててるのに、否応なしに引っ張られちゃう、みたいな(笑)

しかもこの映画、観たのは3月です(苦笑)


レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、ミケランジェロ、ポッティチェリ・・・女性の美しさを追求した人もいれば、精神の深遠さをどこまでも表現しようとした人もいる。そしてこのカラバッジョはそこから少し後の画家ですが、彼の代名詞は「光と影」。徹底的な写実主義と光と影のコンストラストに拘った画法。宗教画を通して、光と影のコンストラストから炙り出した人間の精神、そしてそれはどんな階級にあっても平等なのだというある種の叫びをキャンバスにぶつけるように描き続けた画家でした。

この映画、観終わった後ぐったりでした。
激しい、激しすぎる人生。濃密で熱く、自身を切り裂いて溢れる血で命の在り処を確認するかのような。ただ史実に忠実に検証し撮られた映画のように思いました。この濃密感やぐったり感は、そこからも発していたのだと思います。

このカラバッジョ、天才画家と賞賛される一方で、生来の気性の激しさから数々の警察沙汰を起こします。そして最後は殺人を犯し逃亡中にその短い人生を終えることとなります。罪の恩赦を待ちながらパトロンでもあるボルゲーゼ枢機卿に贈るために描いたのが『洗礼者ヨハネ』。この絵が今年の4月まで開催されていた「ボルゲーゼ美術館展」の最後のスペースにドン!!と展示されていました。実際かなり大きな絵です。

ただでさえルネッサンス期の芸術品群の最後にこの絵がドン!!とあるのは本当に反則と言いますか・・・。カラバッジョはよく自身の顔を絵の中に描いていましたけれど、これこそが自画像ではないかと思った次第です。訴えかけるような瞳がとても印象的でした。

そして映画の中のセリフ『我は世の光。私に従うものは命の光を得る。』というヨハネ伝8章2節。「我は世の光」・・・ってそこまで言うか!?と鑑賞中は唖然としたけれど、映画の中で終始登場する黒尽くめの騎士(闇?悪魔?)に追われ続け、逃れ続けた人生の果ての死とも取れるようなラストシーンからも、だからこそ彼は光で在り続けたい、自分の描く絵にも光を、そして真実を、と願ったのかもしれません(あくまで映画を観た上での感想ですが)。


さてこのカラバッジョ。
何度も書いてしまいますが気性が激しく喧嘩っ早い、すぐに血が滾る。なんと言うか、しっちゃかめっちゃかな人物です。一方で純粋で嘘がない。演じた俳優さんも相当にハンサムでしたが(笑)、実際かなり魅力的な人物だったのだろうと想像します。

しかし、ここまで激しいと周囲は大変だよなぁ~というのが個人的な感想で「愛すべき」などという範疇は(私の中では)とっくに超えています。でも映画の中では、驚くくらい次から次へと親友や擁護者が現れるんですね。私の感覚では、それは不自然なくらい現れる。

男たちは生涯の友となり、枢機卿は彼の才能を護ろうとし、女たちは次々と惚れる。身分の高い者も低い者もそれぞれが命を賭け捨て身で彼を救おうとする。ここが私にはとても不自然に思えたし、この映画をチグハグにしているとさえ感じていました。これは「こんな滅茶苦茶な男になんでだ?」という私の思いが前提にあったからだと今、思います。と言うのは、この不自然さについて、私は暫く答えが出なかったからです。

その人たちにとっては、カラバッジョが天才画家であることは余り関係がなく、それよりも気性の激しさや純粋さも含んだ彼そのものが好きだったのだと思います。多くの外部の人にとっては「困ったちゃん」で手に負えない暴れん坊であったのは事実なのですが、そんなことよりも、彼が好きで心からその身の上を案じてくれる人たちが沢山いたのですね。

私がこの映画で感じた「不自然さ」。
それは私の「マイナス部分があると人は好きになってくれない」「何か価値がないと人から受け容れてもらえない」という思い込みから反応していたものでした。

だから一見マイナスに見える気性の激しさや喧嘩っ早さ(これも私がマイナスとしているだけなのですが)があるのに、沢山の人が次から次へと護ろうとするカラバッジョの存在に不自然さと妬みを覚えたのでしょう。殺人まで犯した彼を捨て身で救おうとするという内容は極端な例だったかもしれませんが、私はすべてを「自分の考えるプラス」で埋めようとしてたんですね。ありのままではなく。そしてそういう他者(自分の考えるプラスで埋められた他者)を求めていたことも痛感させてくれた映画でした。


そのままの自分では受け容れてもらえない、という恐れと嘆き。他者への信頼感の欠如と怒り。書いていてちょっと辛く恥ずかしい自分の部分ですが、光と影の画家、カラバッジョが炙り出し教えてくれたのはこの部分でした。


自分がマイナスと思っていても、他者にはそうでないかもしれない。
私がそう気付いていないだけで、その人にとっては尊ぶ大切な自分のパート。

自分の固執した考えだけで物を見ない、人を見ない。これからの大きな課題のひとつです。その為には、その考えを創り上げた自分の奥の感情を知り、自分で共感することなのかなと思っています。自分の裏表を知らないと他者への共感は出来ないですから・・・一つひとつですね。



今日も最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。
(特に今日は長文でした^^;)

今日も皆さんのその掛け替えのない勇気が、大切な人に届く一日でありますように。






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エンターテイメントとは癒し

エンターテイメントの世界から、マイケル・ジャクソンのように圧倒的で絶対的な巨星が落ち寂しさを感じていたところ、さすがハリウッドと言いますか^^・・・もちろんこの比較など愚かしく両者に対し失礼極まりないことですが・・・極上にエキサイティングな贈り物をとも言える映画が、近々に封切られます。

このエタンターテイメント、Entertainmentとは、娯楽や芸能の分野だけでなく、(あるものから受ける)喜びや歓喜、もてなしという意味があります。私なども大好きなアーティストの方々がいて、その他映画や、なかなか行けませんが観劇やクラシック音楽のリサイタルなども大好きです。私にとってそれらは、この単語の意味する通り、喜び、歓喜なのです。

そしてエンターテイナー(この喜び・歓喜を提供する側)の方々は、「観る方に喜んで欲しい、何かを伝えたい」というお気持ちでいらっしゃるコメントを沢山耳にします。「もてなしの気持ち」ですね。よって、エンターテイメントに触れるとき、それは時として心の癒しとなる得るのではないかと、私は思います^^

『This is it』の中でマイケル・ジャクソンが言っていた「観客を非日常の世界に連れていくんだ」・・・非日常、これに接することにより顕在意識がお休みし、潜在意識の情報や記憶が出てき易くなります。私の友人も山に登り、そこからの光景を眺めているだけで、「自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたのだろう」という気持ちになるそうです。このように大自然の優しさや荘厳さ、一流のエンターテイメントや芸術、この二つはルドルフ・シュタイナーも言明していますが「魂の養分たるもの」で、様々な気付きを導いてくれることからも「癒し」と呼んでもいいのではないかと思います。


さて、その映画とは↓です。

『NINE』


キャストが、また厚みがありますね~。
ダニエル・デイ=ルイス、ソフィア・ローレン!!彼らのゴージャスさ、垂涎です。
「ザ・俳優」「ザ・女優」な方々も、今、我が日本では中々見つけられないような気がして(単に好みの問題かもしれません)私個人としては残念な気持ちもありますが、やはり海外では、日本の俳優と言うと「Ken Watanabe」だそうですよ。

圧倒的な存在感というと、山口百恵さんを思い出します。本当に憧れでした。
今も尚「菩薩」と語り継がれる不世出のディーバ。引退前の彼女は、テレビを通じて観るこちらが息も継げない程の存在感、頂点を極めつつある途上の人間だけが醸し出す、過去の経験や努力に裏打ちされた純粋な自信と自尊心、誰もが認める歌唱力。愛する伴侶を得た一女性の幸せにも満ち溢れ・・・と、正しく気絶しそうなほどの存在感でした。


同じくハリウッド俳優で、気絶しそうなほど^^;に私が憧れる方々と言えば・・・・

男性では、デンゼル・ワシントン、エド・ハリス

denzel washington

edo harris


女性では、アネット・ベニング

bugsy 2

この映画での共演がきっかけとなり、ウォーレン・ベイティは長い独身貴族時代に終止符を打ちました。
また「絶世の美女」というカテゴリーを作るなら、全盛期のエヴァ・ガードナーを挙げたいと思います。個人的な好みです。


というわけで、もう暫く、エンターテイメント系の投稿が続くかも?しれません。

今日は、冷たい・・それでも幾分春めきを感じさせる雨の一日でした。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

今日も皆さんにとって、楽しく健やかな一日でありますように。






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マイケル・ジャクソン THIS IS IT

来年1月27日にDVD発売が決定したそうです。

私は1月17日に観に行きました。
平日の夜にも関わらず、たくさんの人。それも同世代~年配の男性が多かったかな(平日夜だからでしょうか?)。全世界に衝撃が走った突然の死から約半年。これは紛れもないマイケルからのラスト・メッセージ。でもこれからも、繰り返しその映像を観る人、新たに観る人、それぞれの心にそれぞれの姿で反映し、生き続けてくれるのでしょう。

この写真は二度目の登場です。
彼の死の直後のTIME誌の表紙。丸ごと一冊、マイケル・ジャクソンでした。

micheal jackson forever


これからも、私達の鏡像として。
『man in the mirror』 ・・・自身の曲、そのままに。
彼は、それを引き受けてくれたのではないかと思います。
私達、生きている者への限りない愛ゆえに。
私達がそれぞれ、本当に自分に近づけるために。

+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

マイケルの姿だけではなく、映画しても素晴らしい創りだったと思いました。
でも・・・まず最初のインタビューは反則。私はこういうの、絶対に耐えられないので。

「マイケルと一緒のステージに立てるなら、何だってするわ」
「朝起きて一番最初にすること。マイケルの音楽をかけて、ムーンウォークさ」
「マイケル、あなたが僕を動かした」

幻となったロンドン公演で一緒に踊るはずだった選りすぐられたダンサー達の言葉。
マイケルと同じステージに立てる。
これこそが光栄の極みとばかり、込み上げる涙を抑えきれないダンサーも数名。
この時点で、私も、もうダメ(T T )

続くダンサー・オーディションの映像でさえ、もう圧巻。
「世界中の才能を集めたかった」というディレクターの言葉通り、このオーディションに集結したのはどこの舞台でも堂々と主役を張れるであろう一流のダンサー達。
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ニュー・シネマ・パラダイス

このシーンを、何回繰り返し見たか。
この音楽を、何回繰り返し聴いたか。

まさかYou tubeにアップされていたなんて。
驚きと感動の思いでいっぱいです。今日は再び、何度も何度も観入りました。
アップロード下さった方には、心より感謝いたします。

「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーンです。

映画のあらすじは公式サイトでご覧になって下さい。もちろん有名な映画ですので、ご覧にならずとも既にストーリーをご存知の方も沢山いらっしゃると思います^^ でもこのサイトは、シーンを写し取った美しい画像の数々はもとより、エンニオ・モリコーネの音楽も聴くことができます。本当に素晴らしい公式サイトです。この映画は、この音楽でこそ、です。何て叙情豊かな、聴く人の胸に迫る。

当時司祭による検閲が入っていた映画、切り取らざるを得なかったキスシーン。それを繋げた一本のフィルム。このシーンを見るだけで、何故にここまで切なくなって、ただ滂沱と泣いてしまうのか、未だによく分からないのです。

時代だと言え、シーンを切り取らなければならなかった、そのフィルムに対する申し訳なさと無念さ。フィルム一本一本に対する愛情。そして「キス」・・・愛欲の対象だけではない、人の唇と唇を合わせる行為を導く想い。それは一言で言えば「愛しさ」だと思いますが、その大切さを知っていたからこそ、キスシーンだけを繋げたフィルムを残した映画技師、アルフレード。

そして、アルフレードは主人公がこの切り取ったシーンを欲しがっていたことを、ずっと大切に覚えていました。そういった想いの全てがこのシーンに集約されていて、観る者の心の琴線に優しく響くから、かもしれません。



それでも、何と形容したら良いのか。
未だ私の拙い言葉では表現できません。皆さんは如何でしたか?


今日も読んで下さってありがとうございました☆

プロフィール

joyce (ジョイス)

Author:joyce (ジョイス)
人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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