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心、魂、身体のこと。一人ひとりの無限の可能性、役割や命の輝き、素晴らしさを見つめていきたいと思います。皆さんのたくさんの願いが叶っていきますように。

Duet for one ~二人になるために

米倉利紀さん初ストレートプレイとなる舞台『Duet for one』が、今週金曜日26日に初日を迎えます。1980年にロンドンで初演された2人芝居で、ジュリー・アンドリュース主演で映画にもなった物語です。

多発性硬化症に冒され音楽家生命を絶たれた世界的ヴァイオリニスト(安めぐみさん)が絶望の淵で訪れたドイツ人精神科医フェルドマン(米倉さん)との6回のカウンセリングセッションがこの舞台のストーリーですが、一応がんばってアマゾンで英語の脚本を入手しまして、かいつまんで読んでみました。内容が内容だけに、書籍で読んでみたかったんですね。でも舞台を見る前に全編は読み通したくなかったいう・・・すみません、どっちやねん!ですが^^;

でも6回目セッション終盤に向けての展開、そしてフェルドマン医師の最後のセリフ・・・どう翻訳されているのか、これは舞台を待たないと分からない、分からないけれど、このセリフには身震いしてしまうかもしれません。

安めぐみさんも、プライド高く、でも絶望の中で自分の内側が曝け出されるほどに、反対に命がみなぎってゆく女性をどう演じられるのか・・・舞台の上のお二人が本当に楽しみです。製作発表の様子は下記をご覧下さい。


http://news.pia.jp/pia/news_image.do?newsCd=201003040004&imageCd=3


『Duet for one』・・何て美しく、深遠な響きのタイトルなんだろうと思います。
「for one = 一つになるために」ではなく、「Duet= 二人になる」。この舞台の発表を聞いてから、ずっと私の中にあるのは「一つになるために」ではなく「二人になるために」。

なぜそう思ったのか、舞台を見るまでその理由を知りたくなかったから、全編を読みたくなかったのかもしれませんね^^;


↓この映像は10年ほど前になるのかなぁ。。。最近は多重コーラスの曲が比較的多く、このように地声でガツン!!という曲も少ないかもしれません。でも今でも、今だからこそ、ライブで聴くその声は素晴らしいの一言しかありません。5月から春のライブツアーも始まります!

奇蹟




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今日も皆さんにとって楽しく健やかな一日でありますように。





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自分の認識、自己を明確にすること

「人は、自分の見たいものしか見ない」
「人は、自分が信じたいものしか見ようとしない」

ジュリアス・シーザーの言葉だったと記憶しています(申し訳ございません。私の記憶だけで出典を探し出せない><)・・・しかしながら、とても印象深い言葉です。と言うのも、この言葉を地でいくような実体験があったからなんです^^;

その実体験に照らし出してもう少し噛み砕くと、こんな表現になります。

「自分が知らないことは、見えない」
「自分が認識していないことには、気が付かない」


自分が望んでいることを明確にできた事で、その事が初めて視界に入ってきた、その事に初めて気付けたという一件があったのですね。まぁ今となっては「これが初めて」なんてことはなかったとは思います。私は今までこのような共時性や強磁性を頑なに否定するタイプだったので(笑)気付けなかっただけでしょう^^;

ただし、自分が明確にしたその100%が視界に入ってきた、というわけではないですよ。この時点では、あくまで顕在意識の範疇が大なので、予測していなかったことも多分に含みますし、実際含みました。でもそれも込みで自分が想像していた以上にOkなんです。

さて、古代ギリシャにおいて、太陽神アポロンを祀ったデルフォイ神殿の壁にも、次の有名な言葉が刻まれていいます・・・「汝を知れ」と。古今東西における太陽神とそのエネルギー存在は「人間の内在神」と云われます。人間の内に宿り、解放や癒し、人間の持つ無限の可能性や創造性をサポートして下さる神様です。

そして体感だけでなく、心の中でも陽の光を優しく感じるとき、限りない安心を感じるとき。それは、内側での変化が導かれている証ではないかと思います。


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太陽神、人間の可能性や創造性(生み出せるもの)を司り、男性原理であり内在神である・・・ここから考えを繋げていくと、自身の内側を見つめ、認識し、共にいようとするとき。そこから導かれるのは人間の創造性と可能性であり、この時点で導びかれるものとは、ただ受け取るものではありません。

この自身を見つめることで導かれる創造性とは

「自分の人生を切り開く力」
「行動を起こそうとする精神の体力、筋力」

と私は考えます。
そしてその結果として、受け取れるものがあります。

しかしながら上述したように、顕在意識上で認識していることが全てでは有り得えません。ならばと潜在意識内の答えを探ることに終始してしまい、現在の自らを信ぜず、そこから現実に動き出そうとしないならば、自分の心が腑に落ちるものは受け取ることは出来ません。肉体を持ってこの世に生を受けたのは、「自分」として現実世界を生きるためであり、それ以外の目的で、個人レベルの天界のサポートや介在が入るとは思えませんし、何より魂としての自分自分がOkを出さない筈です。

ひとつ大きなポイントとして挙げるなら、即効性を求めないことです^^ 一瞬で著しい変化を感じられる場合もあれば、恐ろしく緩慢な速度・・・殆ど停滞としか思えない場合もあります。その現実に対して不合理性を感じるとき、余りの不具合を感じるなら、それは再び自身を見つめるチャンスなのだと思います。

受け取ろうと躍起になっているのに受け取れない場合は、男性原理(創造性)との均衡を意識すれば良いかと思います。これは、自分では受け取る準備が出来ていると思っていても、それが本当に欲しいものなのか、もしくはそれを叶えようと現実に行動が伴っているのか・・・を振り返ってみましょう。

また一方で創造だけを続け、その結果受け取って然るべき褒賞を受け取れない場合は、女性原理との均衡が大切でしょう。この場合は、自分の創造と行動の後、委ねてみること。その結果受け取れるものを恵みとして素直に受け取ろうとしているか、受け取る覚悟をしているか、自分の望んだ内容に固執していないか・・・を改めて考えてみましょう。

アプローチが違ってくれば、今までにはなかった変化も必ず起きてきます。その道のりは右肩上がりかもしれないし、山あり谷あり暴風にさらわれて、かもしれません。ゆっくり、ご一緒に行きましょう^^


今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。

今日も皆さんの全てが輝き、慈しみに包まれる一日でありますように。





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I (アイ)メッセージの両極

【I(アイ)メッセージ】とは、自分(アイ・I)を主語にして、自分の感情、思うことや要望を相手に伝えることです。お相手に働きかけたい場合ですね。この場合、「あなた」を主語にしない、これだけで受け取る側の印象は随分変わります。例えば、

「私はこう思う」
「私はこうなの(悲しいの、辛いの)」
「・・・だと(してもらえると)、とても嬉しい」

など、自分を主語にして話すことです。
これを「あなたが主語」、【You(ユー)メッセージ】が頻繁になると、

「あなたは、何で・・・」
「あなたは、いっつもそうじゃない・・・」

など、自分の思いを分かって欲しい!!から発しているメッセージなのに、それが伝わらずにお相手は「責め」を感じてしまいがちです。でも、そうじゃないんですよね。分かって欲しいから。

私は、この「分かって欲しい」という気持ち、これは人間の根源に近い、かなりコアな感情ではないかと思っています。そしてアイ・メッセージによって、たくさんの「分かって欲しいよ」「気持ち、分かったよ」というキャッボールが生まれればいいですね^^

ただ文脈としては、伝えたいお相手のことや、その感情を呼び起こした出来事について、それらに相応する言葉で繋がないと対話になりませんよね。よってI(私)メッセージの場合も、お相手のことについて全く触れないわけではなく、働きかけたい(=こうして欲しい、分かって欲しい)と思うに至ったお相手の言動や、その他起きたことについては事実を伝えることがポイントです。但し「淡々と」まで、私は思いません。私は手段や方法にあまり偏りたくなくて。抑えきれなかったときは、抑えなくて良かったんです。


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アイ・メッセージは「衝突を避けるため」の手段とも言えるかもしれません。他者との衝突が大好き、な方は稀だと思います。ただ衝突や感情のこじれが、新しい道を開いてくれることは大いに有り得えます。

と言うのは、アイ・メッセージにより発信したことが、ご自身の、そしてお相手の「何か」に反応し、内側に隠れていた感情を呼び起こすときもあるからです。こういったケースは、通常理性では抑えが効きませんから、爆発からこじれに発展する場合も無きにしも非ずです。でもそれが、そのお二人の場合に必要なプロセスだったのだと思います。 

「人は愛するために出会う」・・・マザーテレサのお言葉です。
感情の爆発やこじれが起きたとしても、それは裏を返せば、お相手により近づくための、自分の気持ちを大切にするための「愛」なのではないでしょうか。

何故ならあなたの感情の爆発は、お相手にとっては、自分の何かに気付くきっかけかもしれません。それがきっかけだったとして、それに対する受け止めはその方の問題です。それをその方に委ねることができるなら、このケースも正しく、アイ=「I」だけでなく「愛」メッセージになるのではないでしょうか。


実際のところ、自分の内面がクリアになっていき波動も変わっていくと、相手も変わっていくという現象は確かに起きます(これは相手が変わったのではなく自分が変わったので、結果として、自身の相手に対する見方や考え方が変わり、相手が変わったように見えるのです)。

でも、自らお相手に対し、行動していくことも大切です。そういう時に、ふとアイ・メッセージを思い出して頂ければ嬉しいです^^ また現実の行動はそのまま経験となり、それが命の実りや輝き、喜びなのだと私は信じています。そしてネガティブな部分は、その実り、輝き、喜びに、自分という個性を色付けしてくれるもの。そこに存在しているのは、ただあなただけの命と魂の実り、輝き、喜びであり、成功と失敗、必要と無駄、そのような類での価値付けは一切ありません。



今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

今日も皆さん一人ひとりに、温もりと慈しみが届いていきますように。





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共にいること 【2】 ~人薬

私がカウンセリングやセラピーという言葉、そしてその内容について知ったのは森瑤子さんの小説からでした。鬼籍に入られてから今年で17年。私はこの方の数多くの小説から、説明の付かない心の衝動、人生の哀切や時として理不尽さ、秘めたる想いなど、大人になるということは、こうまでして心の傷をさらけ出し新たなヒダを作っていくことなのかと、かすかに感じる恐怖に足をすくませながら、一方でそんな大人への憧れに胸を震わせながら、森さんの小説を一冊一冊と読み重ねていったことをふと、思い出しました。

さて、小説の中で登場するカウンセリングの場面。
私の記憶では(実は、今手元に残っている小説は一冊もないのです^^;)それが当時の時代だったのかもしれませんが、解決志向で進める場面は一つもなかったと覚えています。

森さん自身が、一時期カウンセリングに通っていらっしゃったことから、全くのフィクションや想像で筆を進められたということでもないのだと察します。そしてそこで書かれてあったことは、「時間内、ただただ黙って、そしてお金を払って帰っていかれる方」「何も言わず、ひとしきり泣いて、それで帰っていかれる方」「セラピストの相槌さえ許さず、感情を吐き出して時間が終わる方」・・・このように、ただその時の、それがとてつもなく辛いことでも、そのままのありのままでいるクライエントさんと、受け止めるセラピストの姿でした。

でももしかしたら、そのままの、ありのままでいることが一番難しいのかもしれません。現代を生きる多くの人は、自分で作り上げたものに苦しんでいる(それは精神的なものでも、物質的なことでも)、手放すことができるなら身軽になるのは心の何処かで分かっていても、自分の何かを守るために作り上げたものであるから、決して自分から離すことは出来ない、そしてそれが出来ないが故に苦しみがあるのではないか・・・これが、ここ数年来、胸に去来する思いなのです。

この世の中は恐ろしいまでに確固とした二元性が存在し、それが幾重にも折り重なり無限の多元性となっている構図のように思います。良くなろうとし解決策の探求が過ぎ、今、そのままから自身を背けることが続いてしまうと、結果として「良くなろうと解決策を探し続ける」現実が続きます。極端に平たく言えば「良くなろうしない」ことが改善に繋がると、そう実感することが、最近増えてきました。


森瑤子さんの小説の時代、それこそ20年以上前のことです。
これだけ精神的な分野やスピリチュアル、引き寄せ等の言葉が世に普及し、セラピーやカウンセリングがビジネスシーンの一端も立派に担っている今現在、お金を頂戴する以上、出来る限りのことをして差し上げたいというセラピストと、クライエントさんは、お金を支払う以上、苦しみを解く解決策や手段を聞きたい知りたいと願うのが一般的です。お金が介在するならそれが尚のこと、それが普通の意識であり、話を聞いてくれるだけなら友達だって聴いてくれるもの、何でお金払わなきゃいけないの?ということかもしれません。

しかし、ただそこにいるその方と、その方の感情そのままをを受け止める側と、何も言えない自分が、その時のありのままの自分であるなら、そのままでいられる側との空間。私はそういったもの、そこから生まれるものが、その方の心の奥深く届く薬の一つなのだと信じています。


私も含め多くの人は、自分が思うよりも遥かに、自分に価値を許していない。

その価値は紛れもないご自身のピースの一つであり、ご自分が望みさえすれば、自分に「カチっ」と嵌め込むことが出来るのだと、そのピースに対応する自分の窪みは「価値」が嵌め込まれるのをずっと待ち続けているのだと、そのような思いを届けることが、私にとっての「共にいること」。

昨年ある講演会で耳にして、今も忘れられない言葉があります。
引きこもりを専門にされている精神科医の先生が最後に仰った「人薬」という言葉。その講演会は、蓋を開ければかなりディープな内容でしたので、この言葉を聴けて心の底から安心しました。その方は一貫としてうつ病治癒の対策として「環境整備」を挙げられていましたが、それでも「人薬」がすべてを覆しその人を再生させる可能性は計り知れなく大きいと。

そして「人薬」という言葉が、これだけ当てはまる曲もないのではないでしょうか。
また音楽つながりです^^
多くの方の心に、今も絶ゆまず届いている曲だと思います。そして、私もいつの日か、大切な方々のために心のすべてで歌いたい曲なのです(相変わらず、無謀ですな・・・)。






今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。

今日も皆さんにとって、すべてが慈しまれていると感じる一日でありますように。






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怒りは大切

7日(日)は、私が第2期でお世話になった、恋愛セラピストとして大活躍されている
あづまやすし先生の「癒しのセラピスト養成講座」で振替受講の一日でした。この日は、なんと同期が4人も集まっていて、ちょうど一年前の今頃に終了した講座の半年間を懐かしく感じながらも、しっかり学べた一日でした。

この日集まった同期の面々は、5月出産予定(おめでとう!)で、幸せな恋愛、結婚生活についての導きがすばらしいライター・スマイルアップセラピストのすみえちゃん、フラワー・アレンジに、癒しと隠れていた感性を引き出す時間をご提供されているMulleさん、医療機器関係の研究者、ミネ君。

この日、私はあるワークで、この3人+あづま先生アシストという超強力メンバーによって、自分の心理をザックザック掘り起こしてもらいました。まさか、こんなことを思っていたとは・・・しかしそれは果てしなく納得できたことで、頭がクラクラしてきた程です(笑)皆さん、本当にありがとうございました♪ そして最後のセラピー実践。ここでも気付けたことが沢山ありました。また経験を積めたこと、心より感謝です!


このように感情や意識が動いたからか、昨日は些細ではあるけれど、面白い体験もありました。

感情を閉じているとき、その蓋は「怒り」であることが多いのです。
習慣や心癖って強力なので、つい引き戻されてしまうものですが、これらは程度はあるにせよ、練習で変わることは断言できます。パターンチェンジ、思うよりも時間はかかりません。

で、私は「怒れない人」です。怒らない、ではなく「怒れない」。
これを「好き」と言う方は稀でしょうが、私は人の怒りや憎悪が異常に怖いんです。「異常に怖かった」と、今は過去形で書いても差し支えないかもしれませんが^^;・・・その影響もあってか、自分は決して怒りたくない。怒りを感じたとしても顕在意識上ではほとんど無自覚、そしてそのまま最後の最後まで怒りは溜め、かつ自分の中で消化しようとするタイプです。しかし、こうやって書くと何とも不健康ですね。

ただ最近、猛烈に怒っている私が2回ほど夢に出てきまして^^;
その時、人ごとのように「私って、こんなに怒る人なんだ~」と傍観できたのも良かったのかもしれません。そして、私だって怒る、私も怒って良い、という許可が知らない内に出せていたのかな。昨日は、ハッキリと対外的に怒りを表現した訳ではないのですが、

「あ~、いい加減腹たってきた、もういい加減にせーよ」

と、とあることを対象にしていた怒りをはっきり自覚した瞬間があって、すると首や肩の凝りと不快感がす~っと消えていきました(笑)思い起こせば、最近はこうした、心の中での怒りのつぶやきもなかったです^^; 怒りを出すって大切なのだと改めて思えたことでした。勿論、怒りの出し方、表現の仕方は破壊的でない方がいいですね。

この「怒り」という感情、私に限らず、比較的避ける方は多いのかもしれません。でも一方で素晴らしい果実(可能性)を持っている感情なのだと思います。ここ、ちょっと深く調べてみます。



今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日も皆さんが穏やかに暖かく過ごせる一日でありますように。






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プロフィール

joyce (ジョイス)

Author:joyce (ジョイス)
人間が生きる、、もっとも自然な姿とはどういうことなのだろう・・・と考え続けています。

私たちは大宇宙、大自然が紡ぐ生の営みの一つ。元来、全てに調和し、生かされている存在。

自身の人生を切り開く力を備えている一方で、数々の恩恵や成長の機会を受け取ることも出来る存在です。

自分の価値を知り、人生を肯定できるよう、皆さんの内にあるストレングス(強さや資質、天分)と弱さ・・光と影ををご一緒に見つめていきましょう。そう、見つめ、慈しむだけで良いのです。そこに価値を置く必要もなく、そこを生きる頼りにしなくても。

知るだけで、そして、湧き出る感情を感じるだけで。これは、とても自主的な行為です。

今を生きる中で感じる義務や、悲しみ、憤り、責任や使命を手放して尚、一人一人の存在は、ただそれだけで静かに輝いています。それでも運ばれていき、体験を余儀なくされることには、私たちは恐らく抗いません(葛藤がありません)。

補足すると、義務や悲しみに「仕立てた」想念が身体や心に残っています。悲しいけど、その方が楽など、自分が手放さないのです。手放しとはその部分、その範疇をいいます。やはり、それぞれに、すべきことは厳然としてある筈です。

そしてその先へ。癒しのその先へ。
自分を表現していきましょう。勝手に表現されていくことにもOKを出しましょう。
私たちは潜在意識が殆どを占める生き物です。認識しない意図があっても当然で、それを信頼することにより、自ら決定することとの相乗で、次のステージへと運ばれていきます。でも、これは違う!?と思ってもいいのです。

表現とは、この現実世界に自分の存在をさらけ出し、他者や社会による知覚、分析や評価の対象となることです。もちろんそこには、賛辞や好意も含みます。自分の殻の中で、自己満足で終わることとは異なります。

(実際的なアーティストになろう!でなく、恐れず全身で自分でいよう!というのが近いです。ただ、さじ加減は必要ですね。爆発的に、暴力的に、自分を押し付けるのはまた違うので。でも失敗を恐れずに!)

他者や社会に自分を開くと、予期しないことも、より起こっていくでしょう。喜び、神秘、驚き、楽しさ、悲しみ、厳しさも、より体験するでしょう。でも、自らの感情や記憶に左右されず、怖れとプライドを手放して、これらの感動に、可能な限りオープンでありたいものです。

尽きることない、呆れるほど豊かな学びがそこにあります。例え今世が、十字架を背負い続ける人生であったとしても。。

それが愛=天意(あい)で、生かされし魂として、神聖なる計画に沿うことじゃないかと思います。でも、真に大切なのは、私たちはどのようにも選んでいいのです。自分で考え、決め、その自覚を持つこと、人のせいにしないことです。

今日は、ご訪問ありがとうございます。お時間ありましたら、ゆっくり遊んで行って下さいね^^

どこまでも自分に正直に忠実に。
Be dutiful
それがその人だけが持つ美しさと輝き・・・Beautiful 

京都府京都市在住
1968年12月12日生

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